「頑張る」との関係性を考える。
頑張ることができません。
「頑張ってね」って声をかけてもらうのは時によりうれしいのですけれど
頑張ろう→頑張れない→自己否定のルーチンにも飽きたの
で、頑張るとの関係性を考えてみました。
今後も長い付き合いになりそうだしね。
私は頑張るのことをどう思ってるのか?
「頑張るってなんだっけ?」と考えて思いついたのはざっくりこの3つです。
①自分の限界を超えて無理をすること
②いやなことを我慢すること
③恒常性を乱すこと(変化すること)
なるほど~。
③は必要かもしれない。
でも①と②はうまく付き合う必要がありそうです。
頑張るのは頑張った結果なにが起こると思ってるからなのか。
上記のような設定をしている場合、頑張ったら何かが手に入ると私が考えているはずです。
それぞれを「頑張った」時に何が手に入るか考えてみました。
①自分の限界を超えて無理をすること
→無理をしたらできたという成功体験
→やらなければいけないと思い込んでいるタスクを完了させることで得られる達成感と安心感
②いやなことを我慢すること
→嫌なことを我慢できない自分を見るのはできない自分を可視化するようで嫌だから、見ないようにするため。つまり我慢ができることを美徳だと思っている。
③恒常性を乱すこと(変化すること)
→未経験のことや変化に対しての無意識の拒否反応と向き合う必要がある。変化のストレスを我慢すること。
ただし多くの場合、~するべきでる。と思っていることに対して発生している。
総括して「わしゃやればできるんじゃー」って虚勢を張りたいがための「頑張る」ということですね!
今後の頑張るとの付き合い方。
頑張るも、頑張らないもどちらも根底にあるのはなにかをすること。行うこと。do なんですよね。
なにかを行ったら何か得るものがあって、それは頑張ったから得るのではない。
もし私が先に述べたような「頑張る」から逃れられないなら、一旦頑張ると距離を置いたほうがいい。
そもそも頑張るって美辞なのか?
「あの人頑張ってるよね」なんて聞くと美辞に感じます。それは頑張るは是で頑張らないは非と思っているから。
ところがどっこい頑張るはもともと我を張るという意味で、自己中心的であり我を通すという少し軽蔑めいた意味だったそうです。(所説あります。)
そんな頑張るが時を経て、一市民が美辞に捉えるくらいに変化をしたなんて面白い。
どこで読んだか忘れましたけど、言葉は生き物という言葉を「本当にそうだー!」と思いだし、ほっこりしました。
総括
頑張るは悪くない!(ごめん)
付き合い方を考えていく。
しかし今は距離を取ろう。